こんにちは。地域情報発信ライターのFUNEです。
今回は、飯田市常盤町にある「三河家(みかわや)」を訪ねました。
おなかいっぱい食べられる、昔ながらの田舎の食堂。そんな親しみやすい佇まいの三河家には、実は誰もが驚くような歴史が眠っていました。
この記事では、そんな三河家の魅力・歴史をいつもより長文で深堀りしていきたいと思います。
■三河家とは
飯田市常盤町にある昔ながらの食堂。
和の雰囲気が落ち着く店内には、畳の座敷席のほかにテーブル席、カウンター席があります。


人気メニューはカツカレー、チキンカレー、かつ丼、煮カツ、そして五平餅など。どこか懐かしく、食べる人の心まで満たしてくれる味です。

今回注文したチキンカツカレーは、揚げたてのカリッ、サクッ、とした大きなカツがドーンとのっかり、そのカツと相性抜群のあっさりとした優しい味わいのカレーがたっぷりかかった一品。
ご飯のつやピカふっくら具合も最高でした。小食気味な私でも、限界を超えて食べてしまえるおいしさ(笑)でした。
「熱すぎる!というクレームをもらってしまったこともあります。」と語ってくれたご店主。カレーが熱いのは最高の魅力では? と思いながら、心行くまで味わいました。


・どんなお客さんが多い?
地元客が大半を占めるそうですが、高速バスの停留所やビジネスホテルが近いことから、県外から訪れるお客さんも少なくないそう。

店内の壁には、ツアーで飯田を訪れたミュージシャンたちのサインがずらりと並び、まるで「旅の途中の休息所」のような温かさを感じます。
「飯田の味といえば三河家」を思い浮かべる首都圏の有名人も多いのかもしれません。

また、動物園や映画館に近い立地から、子ども向けメニューや食器が用意されているなど、子ども連れの家族へのうれしい心配りも垣間見えました。
■三河家の “家”の字に込められた想い
「店名は今は“家”の字なんです。“屋”じゃないんですよ。」五代目店主がそう教えてくださいます。
屋号の由来は、初代が愛知県の東三河地方・宝飯郡(ほいぐん)の出身であったこと。明治の頃、この地域から飯田へ商いに訪れる人が多く、三河家もその流れの中で生まれたのだそうです。

昭和22年の飯田大火で当時の資料はすべて焼け、創業年は不明のままだそう。けれど、5代目店主という事実が100年以上の歴史をもつことを物語ります。
今の店舗は8年前に建て替えられたばかりですが、どこか懐かしい白い壁と木の格子が印象的。古きよき飯田の風景に、静かに溶け込んでいます。

■ 大火の記憶…焼け跡から立ち上がった街と店
そんな三河家の「昔ながら」の空気の中に、今も息づく歴史があります。
創業当時の資料を失ったことからか…そのかわりに三河家にはたくさんの古い資料が保管されていました。取材の際には店の奥から、古くて貴重なこの地にまつわる冊子などの資料を持ってきてくださいました。

昭和22年4月20日。花見にちょうど良いような、春の空気を感じる風の強い日。銀行の裏手から上がった火は、瞬く間に丘の上の市街地を包み込み、街の8割を焼き尽くしたといいます。その火の勢いはすさまじく、三河家のある常盤町から飯田駅までがまっすぐ見通せるようになってしまったそうです。
「はじめは小さな火事だと思ってみていたら、たちまち燃え広がり、家財を心配した丘の上に住む人たちが崖下にむかって家財を風呂敷に包み投げ落としてから逃げた…」親や祖父母の世代から伝え聞いたという五代目が語ってくださる言葉には、壮絶で、まだ色あせない恐怖が感じられました。三河家も例外ではなく、建物も記録も、すべてを失ってしまいました。
それでも翌年には再建がスタート。戦後の混乱の中、資材も乏しく、隣家と壁を共有する“長屋構造”の建物を人々が力を合わせて建てたといいます。「隣の家の壁がうちの壁、みたいな感じでした。みんな急いでたんでしょうね」そう笑う店主の表情に、飯田の人々のたくましさが重なりました。

■ 飯田の花柳界と、三河家
三河家さんの歴史…お聞きしていると、大火以前にもすごい記憶がありました。お伺いした昔話と、飯田市立図書館で調べた文献からまとめてみます。
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飯田はもともと宿場町として栄えたまち。
江戸時代から中馬街道の宿場町であり、城下町でもありました。
明治のころにはすでに遊郭(ゆうかく)があっても不思議ではないくらい、旅人をもてなす文化が自然と育まれていたようです。馬とともに山を越えて飯田にたどり着いた旅人たちは、きっとこの街の灯りにほっとしたことでしょう。
明治15年には飯田遊郭が開業し、明治40年には二本松遊郭と改称されます。

■ 花柳界という世界
この遊郭と、それを取り巻く置屋や料理屋などをまとめて、花柳界(かりゅうかい)と呼びます。
本来「遊郭」は遊女(娼妓)が客をとる場であり、「花柳界」は芸妓や舞妓など、“芸”で人をもてなす女性たちの世界を指しました。
しかし、飯田ではこの二つが地理的にも社会的にも隣り合って存在し、芸と遊興が交錯する独特の文化圏を形づくっていたようです。
三河家もその一角に位置し、かつては料理屋兼置屋として営まれていたといいます。

■ 最盛期と華やぎの時代
大正10年頃、飯田の花柳界は最盛期を迎えました。
当時の飯田は生糸の生産が盛んで、経済的にも潤っており、花柳界も大いに活気づいていたそうです。都会から芸能人が訪れることもあり、夜の街には三味線の音が響き渡っていました。
芸妓や娼妓の多くは新潟県や和歌山県など、県外出身者。
遠くの土地からやってきた女性たちが、三味線や踊り、言葉遣いを通して多様な文化を運んだことで、飯田の花柳界は規模こそ中程度でも、独特の洗練と温かみを併せ持っていたと語り伝えられています。
芸者衆が行き交い、正月には「今年もよろしくお願いします」と高島田姿で近隣に挨拶に訪れる…。その光景を、店主のお母さまは今も鮮明に覚えているそうです。
「嫁いできたころはまるで祇園みたいに華やかでしたよ」と微笑みながら語ってくださいました。
その一角に、三河家の明かりも確かに灯っていたのです。

■ 終焉、そして受け継がれた美
昭和31年、売春防止法の施行により全国の遊郭が廃止され、飯田の遊郭・花柳界も長い歴史に幕を下ろしました。
借金や病、社会的な差別など、決して楽ではない世界だったと想像できます。けれども、彼女たちの所作や言葉、音楽や装いが、今の飯田につづく品格や誇りへと地続きになっていることも感じます。
かつては語ることもはばかられた「遊郭」や「花柳界」という存在ですが、昨今は、NHK大河ドラマやアニメでも遊郭にスポットがあたるなど、タブー視するよりも、時を経て見える美しい面に光を当てる時代に変わってきたのではないかと感じます。
■ 三河家といえば、あの阿部定
ここからは、当時の文献や地域に残る記憶をもとに、三河家に縁があった人物について触れてみます。
飯田の二本松遊郭が盛況だった大正14年の5月または7月。“シズカ”という名の芸妓がやってきました。
この女性の本名は、阿部定(あべ さだ)。後に昭和史に名を残す事件の当事者となる女性。あまりにセンセーショナルだったこの事件は、後に映画や小説など、多くの作品の題材にもなりました。
飯田に来た当時の彼女は20歳。東京言葉でよく笑う人気の芸妓として知られていたようです。阿部定が飯田で過ごした時の記録は、ふるい文献などから伺えます。
『飯田情話』該当ページより:
「阿部定は大正十五年三月、信州飯田の二本松にある稲葉某の置屋に芸妓として勤めたことがある。…その後、大阪の『寿』という小料理屋に勤め、田中加代という偽名を使っていた。…昭和十一年、地元新聞によると“当時の風俗人粋人は、よくおつな男らと一度は交わしてみたいほど艶美な姿を…”と報じられている。」村沢武夫『飯田情話』南信州新聞社、昭和58年
■参考文献・資料
本記事の執筆にあたっては、飯田中央図書館所蔵の以下の資料を参考にしました。
河合小羊『飯田の通りしあと』(飯田市立図書館蔵)
村沢武夫『飯田情話』(南信州新聞社、昭和58年)
『年報 都市史研究 第17号 特集:遊郭社会』(山川出版社、2010年)
飯田市歴史研究所 編『みる よむ まなぶ 飯田・下伊那の歴史』飯田市、2007年
手書きの書籍もあるなど、時代を記録することへの熱意、当時の人々の息遣いが感じられるような文章に心躍りました。ご興味のある方はぜひ図書館でさがしてみてください。
■ 山田風太郎も三河家で過ごした
山田風太郎(1922–2001)は『甲賀忍法帖』などで知られる伝奇小説の巨匠。忍者や歴史を題材に、奇想天外でスリリングな物語を描き、少年の心を惹きつけた作家です。
戦時中、医学生として飯田に疎開していた時期があり、その時の下宿先が三河家。著書『戦中派不戦日記』にはこの地で過ごした日々が記されているそうです。
■どうにも食堂の枠からはみ出している魅力的なお店で…さいごは三河家の金色ナマズを愛でよう
最後に、店のご利益?とも思いたくなる「金色ナマズ」にご注目を。
三河家のカウンターには透き通った美しい水槽が置かれています。そこにはユラユラと泳ぎ続ける魚影…。なんと金色のナマズ!

「最初は黒かったんですよ。水槽の底で動かないときはと黒くなるけど、動くと金色になるんです」と店主。あまりに珍しいので地元のケーブルテレビ局などから取材を受けることもあったのだそう。
これほどの歴史と人を惹きつけてきたお店…黒いナマズが金色になっても不思議じゃないのかも…しれませんね。
気になる方はぜひ、三河家のカウンターで金色ナマズを眺めながらぜひ食事してみてください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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※この記事の内容は 2025年11月時点 の情報です。営業時間やメニューなどは変更となる場合があります。